万成石 美しい淡紅色 トップクラスの硬度を持つ御影石

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万成石


万成石は、岡山市北西部の万成地区で採石される角閃石黒雲母花崗岩(深成岩)です。特徴的な淡紅色のカリ長石と白色の斜長石や石英、黒雲母等で構成された完晶質、中粒の岩石です。見た目の「優しさ」と異なり、日本でもトップクラスの硬度を持っています。
万成石は、世界を代表する桃色の御影石で、中でも桃色の濃いものを龍王石と呼んでいます。




万成石(まんなりいし)は、岡山県岡山市北西部の万成または矢坂地域から産出される角閃石黒雲母花崗岩(深成岩)です。万成石の山はひとつひとつの玉石の積み重なった山であり、大きな物では2,000t以上の大きな玉石もあり、様々な需要に応えられています。




万成に石工が住みついたのは、天保年間(1830〜1843年)でした。しかし自家用石材の採石のみで、郡方普請の規制もあり、切石の販売はできませんでした。 自由に採石されはじめたのは、明治維新後に郡林であった万成の山林(石山)が民間に返ってからです。はじめは地元の墓碑用石材としての需要に応じる程度でした。
明治二十一年(1888)、光田石材本店の 先代・光田音吉 が採掘を開始してから、その産出量が増大しはじめました。
明治二十五年(1892)、山陽鉄道の敷設に伴って多量の石材を万成山から採掘したので、一般に万成石と称しました。
明治三十三年(1900)、家守氏等4氏が大々的に採掘を初めました。
明治四十年(1907)、第十七師団(岡山)が設置され、膨大なる石材を万成・矢坂から供給したので、万成石は益々著名となりました。
大正初頭から、岡山石材株式会社(後に万成石材株式会社に改組)難波石材、昭和石材等相次いで創立開業しました。
大正七年(1918)には明治神宮の造営に際して、 関東みかげの雄「稲田みかげ」と競い、石材供給の指定を受けました。その後13年にわたって、神宮宝物殿、絵画館、絵画館前の泉水、葬場殿址等 同神宮の工事は一切万成石でなされたために、一躍全国的にその声価を高めることとなりました。
その販売先は明治時代には県内のみでありましたが、大正時代に入るや県外に移出される量が一挙に増えました。各方面の需要者が増加するにつれ、万成石の優秀性が随時知れわたり、昭和時代に入ると県内需要よりも県外需要が激増しました。



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